ジェイコム男 B・N・F さんとビクター・ニーダーホッファー

ジェイコム男 B・N・F さんとビクター・ニーダーホッファー

1997 年 10 月 27 日にニューヨーク市場の株価は大暴落しましたが、翌 28 日には反転して過去最大の上げ幅を記録しています。

このとき、ビクター・ニーダーホッファーが主宰する投資運用会社「ニーダーホッファー・インベストメント」は、5000 万ドル(50 億円)とも 3 億ドル(300 億円)とも言われる損失を被り破綻しました。

ニーダーホッファー個人も破産し、趣味として収集していた銀製品から 114 点が「ニーダーホッファー・コレクション」として競売会社サザビーズのオークションに出品され、合計 73 万ドルで落札されています。

1998 年 4 月 4 日に、NHK スペシャル「マネー革命」は破産後のニーダーホッファーに対する初めてのマスコミ取材に成功しました。

「マネー革命 (1)」(相田 洋)によると、ニーダーホッファーは高校生の頃から 35 年間(取材時点)、毎日欠かさず世界中の主な金融市場の値動きをノートに記録していたそうです。

1962 年にハーバード大学に入学して経済学を専攻する傍ら、23 歳までに 3 回もスカッシュの世界チャンピオンになっています。

1969 年にシカゴ大学で博士号を取得した後、カリフォルニア大学バークレー校の助教授を経て、ヘッジファンドを設立しました。

1976 年の「フォーブス」誌は、投機家に転身して成功を収めたニーダーホッファーを「ウォール街のスーパースター」と評しています。

1979 年頃には先物やオプションなどのリスクの大きい取引にも手を出すようになりましたが、年率 30 % 以上という驚異的な利益が 20 年も続きました。

1997 年 7 月にタイの経済が破綻したことに端を発し、ニーダーホッファーはアジア株とアジア通貨で多額の損失を出しました。

10 月 27 日の直前には、クリアリング・ハウス(ブローカー)のレフコ社に最大 4000 万ドルの負債があったようです。

その後、ニーダーホッファーはシカゴ・マーカンタイル取引所 CME (Chicago Mercantile Exchange) で S & P 500 のプット・オプション 2 万本を売りました。

前述の通りに株価が大暴落したため、27 日 16 時半に CME を通じてレフコ社から 5000 万ドルの追証を要求されましたが、資金を工面できずに 28 日朝に強制決済されました。

余談ですが、ビクター・ニーダーホッファーの弟ロイ・ニーダーホッファーもヘッジファンドを運営していて、27 日に約 100 万ドルの利益を出していました。

ビクター・ニーダーホッファーには、以下の著作があります。

  1. "THE EDUCATION OF A SPECULATOR"(Victor Niederhoffer)
  2. "PRACTICAL SPECULATION"(Victor Niederhoffer, Laurel Kenner)
  3. "Fifty Years in Wall Street"(Henry Clews) の序文

2 は、「実践的スペキュレーション 失敗と成功の戦略」(ビクター・ニーダーホッファー/ローレル・ケナー)として邦訳があります。